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東京地方裁判所 昭和48年(行ウ)57号 判決

原告 幸中寅之助

被告 品川税務署長

訴訟代理人 押切瞳 小川修 ほか二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二1  本件更正処分の適法控についての被告の主張(一)の事実については当事者間に争いがなく、また、鎌倉市の土地建物についての本件更正処分の根拠及び計算関係についても当事者間に争いがない。

2  次に、横須賀市の山林及び横浜市の土地についての譲渡の事実、譲渡益の算出根拠及び計算関係については当事者間に争いがなく(なお、被告は横須賀市の山林の譲渡価額は一四、〇〇〇、〇〇〇円であると主張するが、本件更正処分は原告主張の一三、〇〇〇、〇〇〇円を基礎として譲渡益を算出しているので、右譲渡価額が原被告主張額のいずれであるとしても本件更正処分の効力に影響がないから、この点については判断の要がない。)、結局、本件における争点は、横須賀市の山林の譲渡益八、四六九、一六五円及び横浜市の土地の譲渡益一〇二、二〇〇円が譲渡所得及び事業所得のいずれに属するかの一点に存することになる。ところで、通常資産の譲渡による所得は譲渡所得に含まれるものであるが(所得税法三三条一項)、たな卸資産の譲渡その他営利を目的として継続的に行われる資産の譲渡は譲渡所得に含まれず(同法三三条二項)、それが事業として行なわれる譲渡であれば事業所得に属するものである。従つて、横須賀市の山林及び横浜市の土地の譲渡による所得が譲渡所得であるか事業所得であるかは、専ら右山林及び土地が「たな卸資産」あるいは「営利を目的として継続的に」譲渡されうる資産であるか否かの認定に関する事柄であり、右山林及び土地の取得目的、売却の難易、数量・価額の多少などは、右認定に影響を及ぼすかぎりで意味があるにすぎないものと解するのが相当である。

3  そこで検討するに、原告が東屋商事の代表取締役をしていたこと、東屋商事は昭和三四年二月二〇日国税滞納処分の公売処分により横浜市の土地を含む五二坪四合八勺の土地を競落してその所有権を取得したこと、右土地には鈴木袈裟吉の賃借権が付随していたこと、また、横須賀市の山林についてはは、原告が昭和三七年ごろ東屋商事あるいは第三者から買受けて所有権を取得したこと、東屋商事は昭和三八年三旦三日に解散し、原告は同年六月一五日ごろから個人で不動産取引業を開始したこと、原告は東屋商事が清算中の昭和四〇年五月二〇日横浜市の土地を含む五二坪余の土地を東屋不動産から買受けて所有権を取得したこと、原告の昭和三九年から昭和四〇年の各年の所得税の申告において、事業所得として申告されているものの中には、原告が不動産取引業を開業する前に取得した資産の譲渡益も含まれていたことはいずれも当事者間に争いがない。〈証拠省略〉を総合すると、東屋商事は宅地建物取引業者としての免許は有していなかつたが、質屋業、金融業を営むと同時に競売・公売によつて不動産を競落して」それを転売するという方法で不動産売買も業として行なつていたこと、横浜市の土地を含む五二坪余の土地は、東屋商事が公売処分によつて取得した後、東屋商事の不動産売買の営業目的に供されて、納税申告のうえでたな卸資産として取扱われていたこと、原告は東屋商事が解散した昭和三八年三月ごろほぼ同時に宅地建物取引業者としての免許を取得し、同年六月一五日ごろ正式に個人として不動産取引業に従事するようになつたこと(このころ原告が不動産取引業を開始したことは当事者間に争いがない。)、昭和四〇年ごろには原告は約八〇件にもの嬢る不動産を保有するに至り、それらはほとんど全部取引に供されるものとして事務書類が整理されていたこと、それらの物件の中には原告が不動産業を開業する以前にすでに所有権を取得していたものも含まれていたこと、昭和四二年ごろの原告の一年間の取引件数は二〇ないし三〇件にのぼつていたことがいずれも認められ、〈証拠省略〉のうち右認定に反する部分は採用できず、その他右認定を動かすに足りる証拠はない。

4  そこで、横須賀市の山林の譲渡益について考察するに、前記のように本件山林は原告が昭和三八年六月に不動産取引業を開業する前にすでに原告の所有に属していたものであるが、昭和四〇年ごろ原告が取引に供していた不動産の中には不動産取引業を始める前に所有権を取得していた物件も含まれていたこと、原告が昭和三九年から昭和四一年までの各年の所得税の申告に際して事業所得として申告したものの中には、不動産取引業を開業する前に取得していた物件についての譲渡益も含まれていたこと、その他前記認定の諸事実に照らせば、右山林が昭和三七年ごろに取得されたとの理由で原告の営業用物件に含まれず、かつ、その譲渡による所得が事業所得に含まれないとする理由はないというべきである。なお、原告は、昭和三九年から昭和四一年までの各年の所得税の申告にあたり、原告が不動産業を開業する前に取得した物件について事業所得として申告したのは、当時事業所得と譲渡所得の区別を知らなかつたためであると主張し、〈証拠省略〉においてもこれに副う供述をしているが、〈証拠省略〉に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は昭和四〇年の所得税の申告において譲渡所得であるとして納税申告したものを否認され事業所得に加算する旨の更正処分を受けていることが認められること、また、原告が正式の免許を有する不動産取引業者であることが認められることなどを総合すると、原告の前記主張は到底採用できない。

また、原告は、横須賀市の山林は養老院建設用地として予定されていたものであり営業用物件ではなかつた旨主張するが、〈証拠省略〉によれば、右養老院建設計画とは、その資金的な裏づけも全くなされておらず、単に原告個人の腹案程度のものでしかなかつたことが認められ、右事実によれば養老院建設計画が具体的に存在していたということはできない。また、原告は、養老院建設一が実現できないときは右山林は地価の値上がりを期待して財産保全の目的で保有されていたものである旨主張し、原告本入も右主張に副う供述をするのであるが、前記認定のように、当時原告が八〇数件の営業用資産を保有し、昭和四二年には二〇ないし三〇件もの資産を取引していた営業状態に照らすと、原告の右供述はにわかに措信できないばかりでなく、〈証拠省略〉によれば、右山林は一括して取引されていることが認められ、また、前記認定事実によれば原告が本件山林を保有していたのはわずかに約五年間であり、しかも原告は不動産業を開業する約一年前に本件山林を取得したものであるが、これらの事実に前記認定事実を総合勘案すると、右山林は原告のたな卸資産として取引されたものと推認するのが相当であり、従つて右取引は原告の営業上のものと認められるから右山林の譲渡益は事業所得に属すると解すべきである。

5  次に、横浜市の土地について考察するに、右土地については当初から吉田袈裟吉の賃借権が付随していた点及び取引数量・取引額が僅少である点においてやや事情が異るといえなくもないが、前記認定のとおり、右土地を含む五二坪余の土地はすでに東屋不動産が所有していたころから、そのたな御資産に含まれていた事実に徴すれば、その当時から賃借権の負担が存するにも拘らず不動産取引の対象物件になりうるものと考えられていたことは明らかである。そして〈証拠省略〉によれば、東屋商事が解散した後、原告が実質的には東屋商事の不動産売買の営業を引き継いで不動産取引業を開始したと認められるから、原告に所有権が移転した後に、今までたな御資産とされていたものが特に変更されたと考えることは不自然であり、更地のように価値あるものと目されることはなかつたにしても、なお原告保有のもとでも独立した取引対象物件と考えられていたものと推認するのが相当である。更に、原告は、東屋商事の代表取締役をしていたころから不動産取引の経験を有していたことに照らすと、原告が免許を得て本格的に不動産取引業を始めた時期に右土地に賃借権が付随しているとの理由だけで原告が本件土地を営業用資産として利用することを考えなかつたと見ることはやや困難であるというほかはないのであり、このようにして、右土地を含む五二坪余の土地も東屋商事の時代と同様、原告のたな卸資産に含まれていたと推認するのが相当である。原告は右土地の取引が数量・対価において僅少であるからその譲渡益は事業所得に含まれない旨主張するが、本件の場合他の事情によつて右土地がたな卸資産と認められる以上、取引数量などの多少はその認定を左右するに足りる要素とはならないというべきである。従つて、右土地の譲渡は原告の営業に属することは明らかであるから、右譲渡による所得は事業所得に属するものと認めることができる。

6  以上によれば横須賀市の山林及び横浜市の土地はいずれも原告のたな卸資産として譲渡されたものであるから、その譲渡による所得を事業所得とした本件更正処分に違法の点はない。

三  よつて、原告本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 上田豊三 慶田康男)

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